寝具プロデュース

あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

今年は少し新しい事を始めようと思っています。もちろん布団の事から外れる事はありません。それが「寝具プロデュース」です。

お客様の布団、寝具等をどうすれば一番無駄がなく良い使い方を考えてアドバイスをしていこうと思ってます。けっこう良くあることですが、数回にわけて頼んでくれるお客様がいます。同じような状態ならいいのですが違うことも多々あります。布団で一番大事なのは敷布団です、流れで敷布団より掛け布団のが良い綿でとなってしまうことがあります。それはお客様にとっては不幸です。そんな事をなくすためにあらかじめ直す予定の布団を見せて貰ってから考えよう、そう思っての「寝具プロデュース」です。

もちろん手作り布団だけではなくマットレスや羽毛布団、羊毛寝具等私の店では扱ってないものも含めてトータルに考えて行きます。

少しでもよりよい睡眠生活をおくって頂くために手作り布団を作って43年の私がお手伝いしてしてまいります。

寝具プロデュース” に対して10件のコメントがあります。

  1.  こんにちは。WordPressのお題の「通っている学校」のところで、「きつね山ショウ学校」の記事を書いた子ぎつねです(笑)「いいね」を頂戴し、ありがとうございました!! (ちなみに、サイトは『左手でつくる』です。)

     齊藤綿店さんは、東京蒲団技術学院という学校で学ばれたのですね。お蒲団専門の学校があったということに新鮮な驚きを感じましたが、ちょっと考えてみれば、奥が深い文化だとすぐわかります。閉校されたのは残念ですね。今後は、市場を通じて市井の技術が受け継がれ、お蒲団文化が色々と展開していくと良いですね。

     貴ブログは、まだ少ししか読めておりませんが、「寝具プロデュース」をなさるとのことで、何か面白いことが起きそうに感じております。寝るということに人がコンシャスになってきたのは、割と最近のように思うので、蒲団が新しい目線で見直されることは、きっとあるでしょう!!
     時々、記事を読みに来させて頂きますね。

     それにしても、人間って、素のままでは寝られないというか、きつねのように好きなところで丸まったり、尻尾を「抱き枕」にすればいい(画像のあるサイト、gori.me/humor/40668)というわけにはいかないんだと、改めて考えさせられました。狭い飛行機の座席で可動域が少ないと血栓が出来やすくなるとか、それは避難所も同様だとかで、今回、段ボールベッドが運ばれたそうですね。(asahi.com/articles/ASS1242D0S12UTFL002.html)

     服がなければ生活できない、食器がなければ料理が食べられないエトセトラ、お蒲団のあり方一つでも、寝心地や健康状態が違ってくる・・。人間は自分の手で自分を含む世界を作り出さなければならないと思うと不便の極みですが、一方で、なんだかワクワクもしてきます。

     ちなみに私は仕事もプライベートもノーパソをハードに使うせいか、椅子やソファでそのまま寝落ちてしまうことがほとんどで(あまり眠らないというのもありますが)とうとうパジャマも断捨離してしまいましたが、ちょっと反省し、この冬場はベッドを巣穴だと思って、ちゃんと中に入って寝ようと思います。
    (なぜか急にWordPressの管理画面にログインできなくなりまして。不思議なことに、ブログにはログインされているようで、ページから入って、ベルのマークの通知を見て「いいね」に気付きました。ご挨拶が遅れてすみません。サイトが復活したらまた記事を書きますので、よろしかったら、お暇な折にでも、遊びにいらしてください。)

    1. joyoliving より:

      コメントありがとうございます。左手でつくるは面白いタイトルですね。そこまではないですが私は30歳過ぎてから色々わかったことがあります。好き嫌いの理由です、そんなことは考えずいました。自分はギターバンドが好きだったんだ。貝が好きだったんだ。くだらないことですが今でも自分がけっこうわからない61歳です。布団だけは頑張ってやっていこうと思ってますので宜しくお願いします。

      1. お返事ありがとうございます!! 返信に間が開いてしまって、またもや失礼いたしました。どうやら寝落ちて転げたMacBookがイカれてしまったようで、八方手を尽くしたのですが、復旧あたわず、今、古い古いWindows XPのノートパソコンを引っ張り出して書いております。そしたら、WordPress様に「サポートされてないブラウザですよ」と言われ、ログインできなくなりました。まだ1月なのに、前途多難な新年です。でも、お返事頂けて超嬉しいので、きっと、ここからは良い流れが来るような気がして気持ち上向きでやっていきたいです。
        ・・確かに30歳を過ぎる頃から、自分のことが色々とわかってくるタイミングになるのかもしれないですね。私も自分は犬派だと思っていたのですが、猫も好きなんだと気付き、さらに、その後、きつねが好きなコトに気付いたというのがあります(爆)
        ちなみに私も寅年です。怖れ多いですがタメでございます。アンジーの名を聴けばデヴィッド・ボウイーがすぐ連想されるくらい、あの時代のロックはよく聞いておりました。エレファント・カシマシは、もうずいぶん昔ですが、チケットぴあで市川市本八幡のライブハウスのチケットが取れたのに当日風邪引いて行かれなくなって以来、なんとなく申し訳なくて聞けなくなっておりましたが、貴ブログで紹介されていた動画で、あらためて「いいなあ♪」と思った次第です。
        ・・ちょっとバタバタしておりますが、また読みに参ります。うちのブログは、そんなワケで止まってしまっておりますが、想い出した頃にでもお寄り下さいまし。こちらこそ、よろしくお願いいたします。

        1. joyoliving より:

          エレファントカシマシのライブハウスでのライブは残念でしたね、私は大きいとこでしか見たことがないんで。渋谷クアトロでグラハム·パーカーを見たことがありました。ギター一本でもロックンロールは出来ると教えてくれました。年をとってわかったことがあるに共感頂き本当に嬉しいです。なかなか人に言えませんよね、自分でなんで考えないんだろうって思ったのですから。私は色々駄目な人生を送っでます、かなりいい加減な大人です。ただ音楽、ロックに関してはベストの年代だと思ってます。ビートルズには間に合いませんでしたが情報はいっぱいありました。一番多感な時期にパンクロックがありました。もちろんデヴィッド・ボウイやロッドも元気でした。リバー以前のブルース·スプリングスティーンはとんでもない格好良さでした。クイーンもエアロスミスもチャーミングでした。ちゃんと山口百恵ちゃんも大好きでした。本当に1962年生まれで良かったと思っています。ボーっと生きててもストーンズの新作は聞けたし。コメント、ありがとうございました。

          1. この記事、しばらく非表示ではなかったですか? 気のせい?? もしや私がXPパソコンでコメントをしたことで不具合が出たのかと心配になってました。
            コメントを続けるのは迷ったんです。お店のサイトと直結したブログなので、個人的なことを書き連ねたらご迷惑かなあ・・って。ただ、まだ11個しか記事のないうちの弱小ブログに記念すべき「いいね」をつけて下さった初めての読者様なので、特別なのです。貴賓席です。下には置けません!! 今後、世に出る私を見つけて下さった「目利き」様ですし(笑)
            また、貴ブログの場合、正面玄関から入って記事を開くと「いいね」ボタンがないんですが、自分の管理画面の購読リストでは「いいね」がつけられるということに、今日、初めて気がつきました。(管理画面に入れるようになりました。)なので、コメント欄で悪目立ちしないように、「いいね」にシフトしつつ、時にコメントしに来ます。「また来たか」って苦笑しつつ、テキトーに流してやってくださいませ♪
            さて、クアトロでグラハム・パーカー聴いたんですか。カッコイイですね! パブロックからパンクシーンへの流れの人ですね。すでに商業化されたロックシーンが当たり前になっていた頃に、ロックカルチャー的に「まともな」聞き方をされてきたというか、お好みのセンス、いいじゃないですか。中身、かなり尖ってるでしょう。そうじゃなきゃ、綿を手で繊細に感じ取って満遍なく仕上げていくような、相当なエネルギーを使うお仕事なんて出来ないでしょう。そっちにエネルギー回すから「ボーッと生きて」いらっしゃるとか? ブルースの皮ジャンの記事やシンディ・ローパーの動画、いきなり「悲しみのアンジー」・・かと思えばボウイーで「ロックンロール・スーサイド」って、ラインナップが全然ボーッとしてないじゃないですか(笑)ご自身、否定なさるでしょうけど、そんな印象を持ちました。表層意識じゃないところに、コアを移して生きていらっしゃるだけなんじゃないかと。立派とか大人とかって、そういう視点から見たらってだけの話だけど、そういう世界に優しくも付き合っていらっしゃる。でも、寝具プロデュース、何も考えてなかったら出来ない仕事の筈。違います? コメント3回目にして立ち入ったこと書いてすみません。

          2. 追伸です。お書きになった「年をとってわかったことがあるに共感頂き本当に嬉しいです。」にレスする紙幅がなかったので、以下、別便でお届けします。レスしたいのは、「本当に嬉しいです」に対してです。

            年を取ることで本質へと至ると知ることは、実は秘中の秘。年を取ること=自由になること、その逆の「教え」は罠です(笑)夭折の美学も、罠です。『22歳の別れ』も、『いちご白書をもう一度』も、『学生街の喫茶店』も、罠でした。ヒッピーも罠でしたが卒業してヤッピー(「ヤング・エグゼクティブ」・・古っw)になったのは、消費社会の罠でした。例えば、会社の資金力に依存しなければ自分のやりたい研究ができないと思い込んだ理系のヤッピー連中には、ファミコンで途轍もないプログラミングができるんだぞって教えてあげたい・・みたいなw。
            同じワナなら、Wanna be an old tiger、ですね。虎という動物は群れません。ライオンとは違って。そして、いつまでも子供同様の「探索行動」が続き、環境の中に安住することがなく、好奇の眼差しで世界を見続け、常に新しい何かを感じ取って行動する生き物です。定年退職でサラリーマンは追放されますが、それを「待ち望んだ解放」として捉え返すことで、早期退職を果たした私が通りますよ(笑)貴業はサラリーマンとは別ですから、いつだって好きに年を取れますね、賢者様。良き旅を。
            (↑このノリは、まだ自分のブログでも出してませんが、今後、炸裂しちゃいますから楽しみにしてて下さい。うちの「第一読者」様が、「人生初期で利き手を使えなくされた」自分が羨むホンマモンのプロの達人の手を持つ貴殿だったことに涙が出たって白状しときます。)

  2. 貴殿から、レスはしばらく待って欲しい旨、【当方のブログの方に】コメントを頂いていたのでお待ちしておりましたが、その後、貴ブログはいくつも記事が更新されており、新しい記事に書かせて頂いたコメントには、ご返信を頂いているという状況ながら、下記の件、一向にご返信がないので、思い切って問い合わせをさせて頂きたく。
    ====================

    こちらの記事は、上のコメントで書いた通り、当方がコメント返しをした後、非公開になっていましたが、その後、復活しています。これは事実です。それで、「パラレルワールドに移行するようなことが起こったのだろう、そのお蔭で当方の身の回りの問題も消えてしまったので、感謝すべきところだ(大意)」と自分のブログでは書きましたが、実際のところは、どうなのでしょう?

    もちろん、ブログ開設者である貴殿がご自身の記事を非公開にしたり、公開し直したりするのは、全くもってご自由です。

    ですが、非公開になった理由として、もしや、当方が古いパソコンで、しかもWordPressにログインすることも出来ないブラウザで書き込んだからではないかと、こちらが心配して質問までしている以上、それに対しては素早くご回答頂きたいところでした。
    もし、こちらの落ち度でシステム異常が起きたのなら、謝罪をする必要があるのは当方です。その意味でも、有耶無耶になっていることで、非常に当惑しております。

    当方のパソコンの不具合で、急場のしのぎに古いパソコンを使わざるを得なかったとはいえ、大変、失礼したと思っております。自分のブログの方でも書かせて頂きましたが、改めてこちらでもお詫び致します。大変、申し訳ありませんでした。

    言い訳になってしまいますが、古いパソコンを使ってでも、頂いた返信に再返信をさせて頂こうとした理由は、(自分のブログで丁寧に説明したので蛇足ながら、もう一度、簡単に書きますが)当方のコメントに返信を頂いていながら、諸事情ですぐに返信できず、間が空いてしまったことの非礼を詫びる意味と、誠心誠意ご挨拶させて頂き、今後も交流を続けさせて頂きたいという意味でした。

    そこまで考えた理由は、上のコメントで書いた通り、また、自分のブログでも書いておりますが、当方のブログの記事に対する「初めての『いいね』」を下さった記念すべき「第一読者様」だったからです。ブログを続けるにあたり、とても励みになったから感謝しておりました。純粋に、それをお伝えしたいというだけでした。

    当初は、頂いた「いいね」に対して、そっと「いいね」返しをするつもりでした。
    ところが、貴ブログでは「Reader表示画面」でなければ「いいね」が出来ないことを知らず、こちらの表示モードで「いいね」ボタンがなかったので、「いきなりのコメントで驚かせてしまうだろうか・・」と気になりつつも、最初からコメント欄にて、ご挨拶をさせて頂いた次第です。

    そして、コメントを入れる以上は、ただ単に「初めての読者様で超嬉しいです」では、あまりに手前勝手ですので、貴ブログの他の記事をいくつも読ませて頂いた上で、その内容に触れながら、ブログ間交流的な形になるよう、少しでも内容があるよう、書きました。
    いや、そうした「つもり」でしたが、それでお店のお客様の前で悪目立ちしてしまって?記事をご自身で消されたのかという想像もしており、ご自分の記事を削除なさるのは辛かろう、ならば、こちらの言葉が届かずとも、「それはそれで仕方なかろう」と思っておりました。

    でも、それならなぜ、コメントを削除なさらないまま、後から記事を復活させたのか不思議であり、となれば、「やはりこちらの古いパソコンによる表示トラブルなどがあったからだったのか?」と懸念が深まるばかりです。

    しかし、お店のお客様の手前、特定の読者とのコメントのやり取りなどをしたくないとお考えになられたというのなら、なぜ、もっと「ありきたりなリップサービス的な返信」に止めることをなさらず、気軽なコメントで、「個人ブログとしての」ご対応をなさったのですか?

    そもそも、なぜ、お店のサイトに、貴殿の個人的な趣味のブログを付けているのですか? 

    お店の販促ツールの一つとして、趣味の記事も書かれているのかも知れません。しかし、それでは、貴殿の「趣味の方の記事」に共感したり、記事から触発されたことをコメントしたりしても、それは貴ブログの本来の目的である販促=客引きとはズレてしまうことになるわけです。

    「お店のお客様の手前、困る」と嫌がられるのなら、自分はもはや、全くコメント出来ないです。でも、それは私だけではありますまい? 何か個人的な感想でも書こうものなら追い払われるのですからね。

    例えば、貴殿が、あたかも「自分はダメな人間」「つまらない人間」と自嘲して見せるような言葉を何度もお書きになって、そのことに対応を求めらて戸惑いましたが、そのような言葉は、「人ばらい」というか、結局、当方をコメント欄から追い出そうという意味での演出だったのかと思ったり。

    ご迷惑なら、もう、金輪際、コメントは致しません、義理で返信を頂くのも結構です。
    これまで、当方のブログを読んで下さり、「いいね」やコメントを頂き、本当にありがとうございました。

    ただし、今回の問い合わせに関する返信だけは、【私のブログにではなく】こちらの、この画面上で頂戴したく。ご返信を頂いたのを確認したら、そのように一言、再返信しますので、そうしたら私とのやり取りは、全て消して下さって結構です。
    慎んでご回答をお待ちします。

    1. joyoliving より:

      コメントありがとうございます。私の記事が消えたみたいな事があったのでしょうか、私はやった覚えはないです。仕事と関係ない事を書くのは布団とは関係ない方でもどっかで引っ掛かて見てくれるのではと思ってです。このホームページを作ったときに担当の方に地域名を入れたほうがいい等アドバイスをもらいました。それと同じ感覚で見てくれればとしています。検索して上位にくるようにです。ですからブログを見てくれただけで助けて貰ってるような思ってます。ですので迷惑なんて全然考えてません。コメントのほうは申し訳ありません。丸山圭子さんの名前を見たら書きたいことが膨れています。多分に否定的な感じになります。更新を進めているのはやはり定期的にしなくてはと思ってるからです、なかなか布団だと同じことばかりになってしまいます。あなたさまの左ききから昔から手作業は右ききようだなってそんな事も書きたくなってます。また自分の事は評価は低いです、何しろ知識が偏り過ぎてます。駄目なものは本当に駄目です、それは仕方ありません。この前も書きましたがこのシステムがわかってません。ホームページを作って1年くらいはみなさんのブログを見ることも知りませんでした。最後にあなたさまがグラハム·パーカーを知ってる事で驚きました。なぜグラハムをだしたのかはエレカシのライブハウスを見れなかったからを読んたからだと思います。私は周りにはグラハムは本当に誰もいませんでした。エルヴィス·コステロが限界ですね。61歳になって思いしない嬉しい出来事でした。感謝しています。

      1. 丁寧な返信をありがとうございます。ただ、貴殿は「問題の核心」には、決して触れておられない気がし、そのことで「不当な扱いを受けている」という感触が拭えません。
        しかも、それ以上に、貴殿は当方のことを、こっそりこっそり、「仮想クレーマー」扱いしていますね。印象操作です。

        返信の初っ端から、まるで当方が、自分がコメントした記事を消されたというような言いがかりを付けてきて驚いてしまった《かのように》書いていらっしゃるし、「紅白歌合戦」についての記事へ書いた丸山圭子さんについてのコメントに、なかなかコメントをつけて貰えず、自分の記事ばっかり更新しててこちらを蔑ろにして酷いとでも、まるで私が言ってる《かのように》書いていらっしゃる。そのように読めるようにさりげなく、さりげなく、ミスリードしていると思います。でも、これらは全て事実無根であることは、私の上のコメントを読めば、一目瞭然です!

        それで、これ以上ここで何か書いても仕方がないと思いましたが、ふと、「ひょっとして、読み違いをされているのでは?」という気がしたので、「そのせいかも?」と思い直し、もつれた紐を解く必要を感じ、余計なことかもしれませんが、今日だけ返信をすることとしました。

        二つ、書くことがありますので、二つの返信に分割します。
        時系列的な順序では、(1)問題の核心に関する大いなる行き違いについて、(2)読み違いがあるのではないか、ということについて、です。
        ですが、話を通じやすくするために、(2)を先にした方がいいと思い、以下は(2)です。次のコメントで、戻って(1)です。

        つまり、本件に関する【最重要事項】は、次のコメントの(1)ですが、まずは前提となる事柄について、以下の(2)を必ずお目通し頂いてから、(1)をお読み頂きたく。
        ================

        (2)読み違いがおありではないか、ということについて

        ●お書きになられたこと①-1:

        >コメントのほうは申し訳ありません。丸山圭子さんの名前を見たら書きたいことが膨れています。

        いえ、私が今回、「コメントをまだ頂いていないのですが」と「問い合わせ」をしたのは、その件では「全くなく」、この「寝具プロデュース」の記事に対する当方のコメントのことについてなのですよ?
        まさに、この記事への当方の既存のコメント(当然、お読みになられている筈)への返信について、ですよ??
        もし、丸山圭子氏についてのコメントが「まだない」ことへのクレームなら、そちらの記事のコメント欄の方にコメントしましたよ? そうではなくて、こちらの記事に書いているのですから、当然、「寝具プロデュース」の記事が一時期、消えていたことについての「再」問い合わせですよ??
        本件、これまで、何度もはぐらかされてきたように思いますが、これこそが貴ブログと当方との間の、喫緊の、非常に深刻な、すぐに対応して然るべき問題だったからの「問い合わせ」なのですよ???

        貴殿が当方のブログに「コメントが遅れる」旨をお書きになったのも、この「寝具プロデュース」の件だとばかり思っておりました。

        これこそが「問題の核心」ですので、次のコメントで(1)として書きます。

        ーーーここから(2)の中心となる内容です。

        ●丸山圭子氏に関する当方のコメントとは:

        まず、確認ですが、これは、貴ブログ内の「紅白歌合戦」という2023年11月19日の 記事への当方のコメントですよね? 当方がコメントをしたのは本年の2月6日ですから、貴ブログの購読を決め、未読だった記事をピックアップして読んでいた時のことであり、まだ1週間も経っておりません。だから、今回、催促するようなことでもないんですけど??

        しかも、当方がこの記事へのコメントで丸山氏について言及したのは、あくまで「ついで」のようなものでした。だって、記事そのものは紅白歌合戦でハイファイセットがヒット曲「フィーリング」を披露したことが主題じゃないですか。丸山女史の話じゃないでしょう。なので、まさかそのことに、そこまで「こだわりの返信」を計画されているとは、露ぞ思っておりませんでした(笑)

        何やら、行き違いが、多々、生じていると思います。

        ●お書きになられたこと①-2:

        貴殿は、上に引用した続きで、以下のように書かれています。

        >丸山圭子さん・・略・・多分に否定的な感じになります。

        否定的? ならば、同類じゃないですか! 否定と否定で、お互いのコメントに対しては肯定同士になってますよ?(爆)

        そもそも当方自身が、あのコメントの中で、丸山圭子氏のことを否定的に扱っていますが、そのことにはお気づきじゃないんですか? まさか、流し読みされただけで、丸山圭子という名前だけで直情的に反応なさっていたとか?w

        当方は、「ハイファイセットを紅白に出場させた当時の社会への批判」をしているわけで、それと「一緒の部類」として丸山氏の「曲のヒットという事象」に触れただけです。

        よって、当方のコメントの主旨にとって、丸山圭子氏については、そもそも「どーでもいいこと」でしかありません。貴殿が、それについてお書きになりたいのでしたら、お書きになれば良いというくらいにしか思いません。ただ、こちらが名前を出したことで、貴殿の丸山圭子批判に火がついてしまったようですので、余計な労力を使わせてしまう前に、ここで止めに入れて良かったですw。

        丸山女史に関しては、単にハイファイセットの「フィーリング」という曲がヒットする風潮との「同時代性」を強調するために、「似たような事例」として出しただけですよ? あくまでハイファイセットの「フィーリング」の社会的ヒットという事象を批判した延長で出しただけのことですから、丸山氏にとっては「とばっちり」で気の毒なので、「曲としてはよかった」と付け添えました。

        ここで私は「歌詞の世界観」と「曲」を区別して書いているのです。(曲はボサノバのアレンジで洗練されていて良い雰囲気だと思ったし、歌声が歌詞に合っていて、「表現としては」秀逸かと。)

        ●当方のハイファイセットと丸山圭子に関するコメントからの抜粋

        別記事へのコメントなので、すぐ参照出来ないでしょうから、自分のコメントで恐縮ですが、その部分を、貴ブログ内ではありますが、ここに再掲しておきます。

        >(前略) 同様の歌詞の世界観では、丸山圭子の「どうぞこのまま」とか、ラジオでよく流れてましたね・・。(曲としては良かったですが。)
あの頃、この国の女性の自立とは、オシャレで、古い常識から距離を取れる「いい女」になることで、それがかっこいいこととされていて、それはこの手の歌の世界を地でいくような、男性社会にとっての「都合のいい女」でしたね。・・今思うと、時代的に自覚を持ちつつあった女性陣をうまく取り込んだものだなって思いますw。
マスコミや芸能界、アーティストの世界から、そんな女性を「いい女」ってもてはやす風潮が出現。まだ男女雇用機会均等法さえない、経済的な自立さえ、フツーの婦女子には難しかった時代でした。 (後略)


        ・・まあ、言葉は穏やかですが、痛烈な男性社会批判ですw。ですが、それを直接表現するような言葉では書かないように気を配ったつもりでした。

        しかしながら、コメント内で、ハイファイセットの「フィーリング」についての批判を直截的な言葉では書かなかったことこそが、貴殿の「読み違い」の理由として、ベースにあったのかも知れません。パッと見で批判コメントだとわかれば、その延長で丸山圭子批判にもなっていると、すぐお分かりになったことでしょう。書き方がわかりづらくてすみませんでした。

        ただ、ひと様のブログのコメント欄で、あまり否定的な言葉を書かないようにしたかったというのはあります。

        直接、書かない代わりに、「文脈で語る」ということをしたつもりです。それは貴殿もよくやられる書き方です。

        例えば、貴殿は記事において、「ハイファイセットが紅白に出場した年は、ロンドンパンク全盛期だった(大意)」と書かれていました。この書き方がまさに「文脈で語る」でしょう。パンクの音楽シーンに対する批評性、そして、政治や社会への批評性を、日本での紅白に対して、比較対照するように書かれていらっしゃる。
        これを当方は引用した上でコメントしています。つまり、貴殿のこの文章を、ハイファイセットが好まれる日本の文化的土壌に対する批判として受け止めた上で、引用しているわけです。

        その延長で、自分の視点としても、あの曲の大ヒットには頭を痛めているところがあったので、そうした自分の考えを、牽強付会ながら「同感です」という意味で、書かせて頂いていた、というところです。

        伝わらなかったとしたら、単に、こちらの書き方がまずかったということです。失礼をば。

        で、自分の視点とは、上に再掲した通り、経済的自立の道さえ社会的に整備されていない日本の女性の中の、本の一部の文化的エリート層に対して、最先端としての「飛んでる女」「いい女」として、「恋愛、性愛の自由」を説き、そんなライフスタイルを地で行かせて、歌やドラマやファッション雑誌で盛り上げて、一般女性に「追随者」をいっぱい出させて、そんな素人女性を、経済的に右肩上がりの日本経済を支える男性社会の「餌食にした、利用した」ということです。

        (歴史的には、風営法や赤線廃止との関連もありそうな気がします。高度成長期の「24時間働けますか」的な男性社会を回していくための夜毎の「栄養剤」は投入せざるを得ないものの、前時代的な性産業を温存するのも戦後の復興期以降の社会政策としては好ましくないため、素人の女性の「おしゃれな生き方」として、投入したわけでしょ、「上」が。)

        そのためのプロパガンダに「フィーリング」という曲が使われているし、丸山圭子氏の歌もそうだ、という意味です。

        特に「フィーリング」の歌詞のハラハラするところは、「泣かない」とか「今が美しければいい」という、自分の本当の気持ちを偽り、傷つきまくっている自分を騙しまでして、男に引きずられる自分を正当化しようとするところです。これが紅白で茶の間に流れるのかと思えば、ただただ唾棄すべきシーンとしか、当方には思えませんでした。

        要するに、何が「いい女」なのか。「隠れ尽くし型女性」でしょう? 古臭いものの焼き直しでしかない。そして、昔から、妾や2号として生きるしか道がない女性はたくさんいました。婚外子だってたくさん生まれてるんです。だから、道徳的な観点で否定する視点も鬼なのですが、だからこそ、そこが逆手に取られ続けるんです。しかも、これは人口動態にも影響する。少子化の今、ぼんやりとそんなことも考えます。

        また、個人主義の観点から言えば、個々の男女がどう行動するのかは「個人の勝手」ですので、それを叩くコメントを書いた訳ではないですよ。ハイファイセットも、勝手に夢見て勝手に傷ついて自己責任で物語に逃げ、でも、そこから先は表現に昇華させてるんですから、その「表現の質が優れているかどうか」の軸で判断するのが正当かと。丸山女史の曲も同様です。私が疑問視しているのは、あくまで当時の社会的風潮に対してなのです。

        ここまで否定的な言葉を、流石にこちらの「綿店」さんのブログには書けないなあと思って、同記事へのコメントの方では、さらっと書きましたが、それでも、再掲箇所の通り、あの程度には語気が荒くなってしまったのは、前段の、というか、貴殿の「パンクと比較した日本音楽文化への批判」を感じ取ったからで、パンク繋がりでの批判なら受け止められるかな?と思ったからですが、・・書きすぎたかも知れません。

        特に、今書いているこの「自己解説w」は、きつい言葉の羅列ですので申し訳ないです。しかも、お蒲団業界ですから、業界の重鎮のお叱りが目に見えるようだ(笑)

        とは言うものの、コメントを書いた動機としては、これらの解説内容に関連して、もう一つ、「同年代」ということへの煩わしさを感じていたこともあったからです。迂闊にカミング・アウトしなきゃ良かったかな、と後から思いまして。
        貴殿は、同年代に対する肯定的な思い入れがかなりおありのようで、ここ数ヶ月の記事の中で、寅年や62年生まれを前面に出されている感じがありました。それは、ネットで同年代の集まりに参加されて楽しかったからのご様子ですが、別の側面としては、マーケティング的な意味合いもあろうかと思っています。(この年代の家には、「使わなくなってるお蒲団」が眠っているかもしれない、とか?)

        偶然、貴殿と同い年なので、その意味では親近感はもちろんあり、お近づきのしるしとして、そのように自己紹介させて頂いた次第、ただ、自分の本音としては、同い年の「主流カルチャー」とはソリが合わなかったので、「同年生まれ」という括りでの集まりなどには出たいとは思わないです。

        特に、同い年でも、男性と女性ではかなり違う筈です。男女平等という言葉さえ、「絵に描いた餅」だった最後の世代ですから。

        貴殿がChatGPTの講習を受けに行かれた際の案内が画像として2月8日の記事に掲載されていましたが、そこに、男女共同参画センター研修室という文字が見て取れて、「今では、こんな名前の部署さえ、全国津々浦々の市役所に当たり前にある」ということに感慨を覚えたくらいです。

        なので、当方が同い年のブロガーだということで、貴殿が、同年代ウケする形で返信をするように気遣って下さるかもしれないと思い、つまり、「同年代的なアイテム」を当方に対するコメントに入れ込もうとお考えになるのではないかと「先回りして」考え、それをされてしまうと、こちらは不本意ながら「お気遣いへの感謝」を、表面上しなくてはならなくなるので、「当方は同年代として括らないでほしい、女性は同じとは言えない」と、先にそういう主張をしておくために、あの「紅白」へのコメントは書きました。

        ●書きそびれているシンディ・ローパーの動画に対するコメントが関連すること:

        また、本当はこの「紅白歌合戦」の記事へのコメントの後に、貴殿が11月5日に書かれていた「やっぱりYoutube」の記事にシンディ・ローパーの動画がアップされていることへの大絶賛コメントをする予定でした。

        ところが、シンディについては自分のブログの文中で、短いながら触れてしまったので、うちのブログを購読されている貴殿には重複になってしまうかもしれないと思い、コメントを入れるのを自粛したんです。本当は、「ハイファイセット批判、丸山圭子批判」と「シンディ・ローパー賛」がセットになるんです。

        簡単に書いておくと、シンディの歌は、動画の印象からすると、「好き勝手やらせてよ」って、ワガママでぶっ飛んだ個性的な女の子が、ガールズパワー全開で、楽しく歌って踊ってるように見えますが、内容は非常にシリアスで、「男性は、勉強や仕事の後に息抜きしたり楽しんだり、羽目を外したりしてもいいし、そういう癒しが当たり前に与えられてる上で、ハードワークや日中の規律正しさを課せられていて、それが基本的人権の中身になってさえいるのに、なぜ、女性にはそういうことが全く認められないの?」と歌っているワケです。

        また、「男性が女性を守るような形で、女性が囲い込まれて不自由な思いをするのもおかしい、自分は道の真ん中を顔を上げて堂々と歩く」って歌ってるんですよ。かっこいいじゃないですか!

        なので、貴殿が男性でありながら(というと差別的な表現になりますが、あえて)シンディの動画を、「今見ても素敵だ(大意)」と評価してブログ記事にされているのを見て、「できる人だ!」と、貴殿に賛同したかったというところです。

        まあ、動画を「どのような意味で」良いと感じるのかは、多様であり、一人一人、観点も異なり、貴殿と当方の見方も、決して同じじゃないでしょう。ただ、当方が上で書いたようなシンディ評は、色々な人も同じように書いていることなので、「一般的な評価」です。なので、その程度のことなら共通感覚と見做して書いておいても良いかな、とは思っていましたが、こちらのコメント欄で書く機会を逸しました。なので、ハイファイセットへのコメントだけが宙吊りになってしまっており・・。

        ●まとめ:

        丸山女史に関しての当方の言及については、おそらく貴殿は、お忙しい中、あまりよく読む時間がないまま、貴殿的にきには好評価ができない「丸山圭子」の名前だけを見て反応なさり、それで余計に当方の書いている文章を咀嚼することがその場ではできなくなり、そして、「いずれコメント返しをしなければとは思うが、否定的な話になるから書きづらい・・」と、抱え込んで悩んでしまわれていた、ということでしょうか?? あくまでも憶測です。違っていたら失礼します。

        なぜこれを書いたのかは、(1)に続きます。
        その前に、音楽ネタについてだけ、少しレスしておきます。

        ●お書きになられたこと②:当方がグラハム・パーカーを知っていて驚かれたということ

        これは珍しいことではありません。ご存知のように、インターネットという媒体は、似たような経験や志向、感性を持った人間を集めやすいですよね。

        それに輪をかけて、特に昨今は、ビッグデータ以上に個人の日常生活の様子や考え方の傾向から健康情報までのありとあらゆるデータを、ネットを使って、社会が徹底的に吸い上げて活用しようとしています。「語れ、語れ、もっと自分のことを語れ」って。

        なので、個人が思わず語りたくなるような「好きなものについて」の情報は、簡単に「似たような志向の人」を拾い出すことが出来る筈です。
        まあ、それをわかった上で、上手にネットを使えばいいのではないでしょうか。

        一方、私のように、人が語りたがらない、開示したがらない情報(きつね山のように、些細なことであろうと世の流れに逆らうような思考が少しでもあれば)によって人を集めようと呼びかけると、怖がって、あまり人が寄ってこないですけどね。陰謀論だとかアンチ・ナントカみたいな人たちは、実は「そういうジャンル」であって、つまり「メジャーな人たちの一角」ですから、同類がネットで集まって和気藹々やってるわけで、私なんて、マジ「誰も知らない」を地で行ってます(笑)だから、読者になって下さったことには、とてもとても感謝しておりました。

        不思議なことに、一人でも「いいね」がつくと、「この手のブログにいいねをつける人が他にもいるんだ!」って思って、「安心して」いいねをつけてくれる人が増えてきます。

        貴殿の他には、まだ数名ですが、その手の開拓者精神に溢れた方々が、このところ、「いいね」して下さるようになりました。

        何より、「最初の一人」に、どれだけ救われたかわかりません!!

        なので、そんな恩義のある貴殿に対し、次のコメントの(1)のようなことを書くのは心が痛むのですが、すでに私自身が今回の(1)をきっかけにして、ネットで「潜在的に」危うい立場に置かれていることもあり、書いておかざるを得ないのです。そこまで事態は深刻なのです。「語れ」と言って情報収集していく社会と渡り合うための予防策です。ご理解ください。

        ●年齢:

        「61歳にして云々」というのは、お気持ちは理解できました。ただ、・・少し、世界を狭くし過ぎていらっしゃる気がします。ネットの上では、年齢なんて関係ないです。年齢に従って、世の中と足並みを揃えて「計画的に」歳を取っていく世界に寄り沿うのを止めればいいだけです。これぞ、「天命反転」の精神です(笑)

        つまり、年齢というのは、社会の上での「設定」であり、「役割」なんです。生物学的な理由だけでは生じない現象です。(逆に、超早熟な子供のことを考えたらわかると思います。)そういう世界に対し、貴殿は「優しすぎる」と思うし、付き合ってあげ過ぎていると思います。

        「本当の意味で」ご自身を大切になさって下さい。

        (つづく)

  3. 「つづき」の、本件に関する【最重要事項】である次のコメントの(1)」を、何度、投稿しようとしても、弾かれます。もしや、長すぎるからかもしれないと思い、かと言って、さらに分割したところで、サイトに負荷が掛かることには変わりがないので、自分のブログの方で公開しておくこととします。よろしくです。

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