紅白歌合戦
私は61歳です。私が歌に興味が出達頃、まさに紅白歌合戦は楽しみにしてました。もちろんレコード大賞も歌謡大賞も楽しみでした。お正月明けの学校では話題になりました。
13歳の時にビートルズでロックンロールを知りました。それでもやはり紅白歌合戦はけっこう楽しみにしてた記憶があります。20歳の頃までは見てたような、しかし徐々に離れて行きました。
数年ぶりに見たとき驚きました。歌う歌が古い歌になってたのです。私が楽しいに見てた頃はその年の代表曲は歌ってたのです。この頃から歌がヒットする歌手が限定されていたのてしょうね。私の中では紅白歌合戦は終わった感じです、この時点で。もちろん見るときはありますが違うものだと思っています。
1977年の紅白歌合戦、ハイファイセットの「フィーリング」です。ロンドンではパンク·ロックの全盛でした。
こんばんは! お書きになった言葉を引用させて頂きながら・・
>この頃から歌がヒットする歌手が限定されていたのてしょうね。
鋭すぎる!
>1977年の紅白歌合戦、ハイファイセットの「フィーリング」です。ロンドンではパンク·ロックの全盛でした。
同様の歌詞の世界観では、丸山圭子の「どうぞこのまま」とか、ラジオでよく流れてましたね・・。(曲としては良かったですが。)
あの頃、この国の女性の自立とは、オシャレで、古い常識から距離を取れる「いい女」になることで、それがかっこいいこととされていて、それはこの手の歌の世界を地でいくような、男性社会にとっての「都合のいい女」でしたね。・・今思うと、時代的に自覚を持ちつつあった女性陣をうまく取り込んだものだなって思いますw。
マスコミや芸能界、アーティストの世界から、そんな女性を「いい女」ってもてはやす風潮が出現。まだ男女雇用機会均等法さえない、経済的な自立さえ、フツーの婦女子には難しかった時代でした。
法律が施行されたのは1986年。せっかく大学卒業しても、就職試験を受ける時に、その恩恵があったのは一学年下からだったから、あたしゃ、大卒の「お茶汲みコピー取りOL」の最後の世代候補でした。それがわかってたんで、結局、別の道に行きました。以降、不良人生です(遅いよ)その意味で、1962年生まれっていうのは、時代の境目だったと思います。